嫌な上司への対処法 第2回

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前回の復習
前回の復習をすると、嫌な奴というのは、
「会社で可能な限り高い地位にいくことを何よりの目的としており、その目的達成のためには手段を問わず、他人の痛みに鈍感で、自らが過去に苦しんできた分以上は他人を苦しめようとある種の嗜虐的快感すら覚えて躍起になる人間」
で、
こうした人間に対処するには以下2つのフレームで捉えてアクションを策定する必要がある旨をお話ししました。
(1)即効性のあるアクション;前者は即効性はあり当面の痛みは免れるけど抜本的な解決には至らない対処療法的なアクション
(2)遅行して効いてくるアクション;後者は時間はかかるけどその苦境を真の意味で抜け出し前に進むためのアクション
とここまでが前回のおさらいです。
嫌な奴は果てしなく。。。
しかし、この1週間色々と考えたのですけど、上記の嫌な奴の定義ってのは、通常のレベルで嫌な奴の定義で、これより程度は弱いけど嫌な奴、これ以上に嫌な奴というふうに、強弱はあるのかなというふうに思います。
なので、ベンチマークは上記嫌な奴というふうに考えて、僕がこれから示すガイドラインを利用するにあたっては、その嫌な奴度合いに応じて、どれだけ大胆にそのガイドラインを自分で調整するか考えたほうがいいでしょう。
個人的な意見なのですが、良いマニュアルというのはある特殊な一つの局面のみ有効なものではなく、頭を使ってそのマニュアルを個々の現場の状況に調整できる柔軟性をもっているものだ、と思っています。
つまり、結局は、どういうふうに使うか次第で、その便利さに違いが出てくる、ということです。
ですので、利用する際は、是非とも自らの状況に調整するべく、色々と改善点を見出して改変していただければ望外の幸せです。
もちろん、使わないで読み物として読んでるだけ、というのであれば、それはそれで読んで、くすくす笑っていただけるのも十二分に幸せです。(^^)
・短期的アクションとは;3次元アプローチを理解する
さて、(1)から説明します。(1)は抜本的な問題の解決には至らないアクションだけど、当面の痛みを和らげるに十分なもの、というふうに言いました。
人間の精神というものは、自分が思っている以上に脆弱なもので、環境の劇的な変化に簡単には適用できません。
問題の抜本的な解決に至るアクションは、もちろん打つべきなのですが、問題が抜本的に解決される前に自分がつぶれてしまったのでは本末転等です。
ですので、現実を見据えた場合、綺麗事ではなく、多少は自分の信条に反していたとしても、目の前の困難を何とかして避ける必要があります。
そこで、(1)のアクションが先ずは必要となりますが、(1)のアクションを考える場合、私がお勧めするのは、3次元(3 dimentional)にアクションを起こす対象を分けて考える方法です。
これをここでは、3 dimensional approachと言います。
3 dimensional approachとは、具体的には、
(1)彼
(2)私
(3)それ以外
というふう対象を分類して、それぞれの対象毎に取りうるアクションを変えることです。
では、以下、一つずつ説明します。
(1)彼
まず、何よりも重要なのは、嫌な奴本人に対して、どういうアクションを取るかでしょう。
あなたの上司が嫌な奴になった場合、まずは何をして彼・彼女を嫌な奴たらしめるのかを徹底的に分析する必要があります。
具体的には、あなたの上司が一体何に対して心を動かされ、何を気にしているか、ということを詳細に把握する必要があるということです。
例えば、逐一自分を通してから色々と仕事をしてもらいたい人なのか、自分のことはどうでもいいから上が気に入ることを次々とイニシアチブを持って実行してもらい、成果は自分のものにしてもらえばいい、というような人、今まで自分がやってきた方法にこだわり新しいやり方はテコでも受け入れない人、色々いるわけです。
(嫌な奴だとしても)上司が「一体どういう部下を好み、どういう仕事の仕方を好むのか」、を徹底的に分析し、激昂・悪態・嫌がらせをするに至るトリガーが何かを理解せずして、上司のオーダーに上手く対処することはできませんし、気に入られることはないでしょう。
もっともしてはいけないことは、「論理」や「効率」、「あるべき姿」を持ち出し、正義をふりかざさんとばかりに、敵意を持って対抗することです。
世の中に生を受けてから既に30年以上自分のやり方を貫き通し、相応に出世し、なお嫌な奴の称号を得ている人間(上司)が、他人からの意見、ましてや自分に服従するのが当然と思っている部下からの意見など聞くわけもありません。
彼のやり方や好みは、正に生きてきた証であり、彼にとっての正義そのものですし、効率やあるべき姿なんてどうでもいいのです。そんなに聞き分けが良ければ、何故に嫌な奴認定されるのでしょうか。
聞き分けが悪く頑固で、その生き方を貫いてきたからこそ、今そうした存在になっているのです。
したがって、取るべきアクションは、何らかの周到な準備を行って対抗することではなく、彼を徹底的に分析し、意に沿う仕事の仕方がどういうものか、考え、毅然と卑屈にならず実行し、「見込みのある奴だ」と認めさせることになります。
この際、とても重要なのが、精神的に弱ってる様を微塵も見せずに、淡々と感情を込めずに、マシーンのように仕事をこなすことです。
嫌な奴は、基本的に弱みに付け込み、無茶な要求をしたり、死体に鞭打つが如く、弱っている様をみてほくそ笑み、悪態をつきます。
そうした隙を与えては決していけません。
何も感じていない振りをして、淡々とやり抜く、このニュートラルな態度こそが、嫌な奴の毒気を抜くもっとも良い方法となります。
そうしている内に、嫌な奴の命令をにこやかに平然とこなせるようになったら、とりあえずは彼に対するアクションとしては目的達成です。
それ以上のこと(反撃)はする必要もないし、しても事態を悪い方向に動かすだけです。
まずは、分析→好みを把握→冷静沈着にオーダーをこなす、のサイクルをこなして、一旦は認められることが、短期的に上司に対して行うべきアクションの要諦となります。
(2)私
私というのは、いうまでもなく自分自身に対してどういうアクションを起こすかということです。
ここでいうアクションとは、具体的な行動というよりは、どういうことを考えるべきか、ですね。
まず、上司があなたに言うことが本当に理不尽で意味のないことなのか、あるいは、理不尽な言い方で向っ腹は立つがその結果できあがる成果物の質は良くなっているのか、を主観を交えず考え、上司の嫌な部分と、真似をすべき部分を分けて考えることです。
人間は一旦嫌だと思うと、その人にまつわる物や事、全てが嫌になります。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というやつです。
しかし、一歩離れて、最終的にできあがる成果物を見てみると、これが意外や意外、嫌な上司が悪態をつき指摘をした後のほうが質が高かったりするのです。
つまり、人への振る舞い方や人への接し方、指導の仕方は、どぎつく非情・無常で嫌味ったらしい上司でも、彼が生み出す仕事そのものや、着眼点は敬意をもって表すべきレベル、ということがあります。
僕は、新人時代に、そういう性格が悪くて仕事ができる先輩や上司のことを何も考えず忌み嫌い、毎回指示を受けるたびに「またか、意味のない事を」とか考えていたのですが、あとから、「嫌な奴だったけど、もっと仕事の仕方を盗んでおけばよかった」と後悔した事があります。
もちろん、尊敬するところなど一部の隙もないくらい嫌な野郎、のケースもあるのですが、むしろそれくらい忌み嫌っている場合こそ、一歩引いて彼の仕事の仕方やスキルを見てみると、意外と使える、というか、盗むべき光るモノをもっていたりします。
そして、敬意をもってそのスキルを自然にそれとなく賞賛し、自分も学びたい旨主張すると、(あなたが嫌な奴の太鼓判を押すということは、今までの部下にもそう思われていたでしょうから、今までそういう褒められる機会がなかった分)熱心に教えてくれたりします。まあ、その教え方も嫌な感じなので、それで丸く収まるということでもないのですが笑。
ただ、単に憎悪して毎日神経をすり減らし、上司と抜き差しならない関係でい続けるよりは、よっぽど良いでしょう。
ですので、目先の感情に突き動かされず、冷静に目の前の事象を「役にたつもの」、「立たないもの」に分類して、前者はきちんと貪欲に取り込む一方で、後者は無いものと扱う図太さを身につけたいものです。
(3)その他
これは、実は前の二つに比べて非常にシンプルです。
その他大勢の人に対しては、どんなに辛い状況でも、良い奴であることで、自分が受けた仕打ちを絶対誰かにも受けさせてやると復讐心に燃えない事です。
人から嫌がらせを受けたり、理不尽な苦労をした場合、後から来た新参者に対して、同じように振る舞い、同じ苦労を故意にさせることこそ、あるべき姿だと思う人もいます。
しかし、それは間違っていると僕は考えます。
もちろん、甘やかされてきた人間に一定のハードシップを与える事は、上司の役割なのかもしれませんが、それは理不尽をことを強いたり、情報格差を利用して嫌がらせをすることとイコールではありません。
自分こそが、上司と同じように嫌な奴になってしまっては、正にミイラ取りがミイラになる、でありその負のサイクルからは、何一つ喜びや希望は生まれません。
もちろん、自分だけが苦しむのは不公平だと僕も思いましたし、下の人間、後から来た人間が、この苦労を回避してのうのうと仕事するのはおかしい、という思いが頭をもたげないこともないのですが、頭をもたげる程度で終わらせて、同じ穴の狢になるのは絶対に避けたほうがいいです。
理由としては2点。
1点目は、単純にそうすることで確実に自分に負のエネルギーがたまり、嫌な気分になるからです。もし喜びを感じるなら、それはそれで大きな問題ですが笑、このエッセーを読まれる方は少なくとも、人に嫌がらせをすると嫌な気分になるでしょう。つまり、行動の結果がネガティブ、期待値がネガティブなアクションはそもそも起こさないに限ります。
で、2点目、これが重要なのですが、辛い状況だからこそ、人に対して優しくふるまうことで、嫌な奴である上司と良い奴であるあなたの対比は明確になり、次第に、いろいろな人が味方になってくれます。これが心の支えになり、毎日何とかかんとか、乗り切ることができるようになります。
例えば、あなたの同僚が、飲みに誘ってくれて愚痴を聞いてくれたりもするかもしれませんし、もしかしたら、他の部門の上の人が、健気に前向きに苦境に向き合いながら、尚も感じの良いあなたを引っ張ってくれるかもしれません。
また、その上司の度が過ぎてパワハラ問題に発展した場合、もしあなたが周囲から嫌な奴認定をされていたならば、「あんな嫌な野郎だから、天誅がくだったんだ、守る必要なんてない、パワハラなんてありませんでしたよ」という風向きになるのでしょうし、あなたが普通に良い奴であった場合は、「あの上司が全面的に悪くて正にパワハラでした」という風に擁護側に立ってくれることになるのでしょう。
嫌な奴と四六時中付き合っていると、やさぐれてしまい、次第に自分も嫌な奴になるというのは、意外とよく見るパターンですが、そんな時だからこそ、自分らしさを全面に出して人に対する優しさや困っている人を助ける余裕を忘れないようにしたいものです。
いや、これは自戒を込めていうのですが、シンプルながら意外と難しくて、でも、ある程度年月を経ると、こうして毎日積み上げてきた信頼が目に見える形で何倍にもなって返ってきたりするので、苦境に陥ってるからこそ普段の振る舞いに気をつけるというのは、重要な事なんですよね。
これは本当です、会社で長く働いていると、こういう普段の振る舞いによって行きたい部署に行けたり、行けなかったりが決まります。
そこには、むしろ地頭の良さよりも、性格の良さ、人柄の良さを重視するといったアナログな側面が台頭するのです。まあつまり、誰しも嫌な奴とは働きたくないということですよね(笑)。
結局、伝統的な日本企業の場合は、成果がそのまま給料に直結する割合というのは、せいぜい2割とか3割程度で大方は年次によって給料が決まってしまうわけです。
であればですよ、究極的にはプロジェクトが成功しようがしまいが、仕事がうまくいこうがいくまいが、給料にそんなに差が出ない仕組みなんですよ。
そして、もっというと、一様に前向きに課題に取り組むプロ意識さえもっていることが担保できれば、そうしたメンバーが集まってさえいれば、そんなに結果に差なんてでないし、チームメンバーの一人が飛び抜けて優秀でも結果に10倍の差が出ました、なんてことには、多くのケースにおいてならないのです。
つまり、嫌な奴と一緒に仕事をするインセンティブってかなり低くなってしまうのですね。だから、とにかくいつだっていい奴でいろ、ということです。
それは、都合の良い奴、という意味ではなく、プロ意識をもって自分の仕事は責任をもってやりぬき、他人に嫌がらせをせず、困った人がいたら手を差し伸べてあげる、程度の良い奴という意味です。自分が苦しいときは、こうふるまう事が大変なのですが、そのリターンは計り知れないということですね。
そうわかると、俄然やる気になるのが、人間の不思議なところですよね。
というわけで、短期的なアクションとして、(1)彼、(2)自分自身、(3)その他大勢、と対象を分割して考えるという方法を紹介しました。
ただしかし、お気付きの方もいるかもしれませんが、短期的なアクションをいくら続けても、はっきりいって状況は大きくは好転しません。そこで、やるべきは、この短期的なアクションのほかに長期的なアクションを同時並行的に進めて、その事態からの脱却を図る事です。
短期的なアクションに比べると、少しロングレンジでもどかしいし、諦めたくもなるのですが、結局苦境ってのは、目の前のことに汲々としてる限りなかなか去って行ってくれないものなのです。
あくまで、先の事を読みプロアクティブに対応してこそ、前が開ける、ということで、次回は、そうした状況をそもそも抜け出し、今後二度とそうした状況に陥らないように長期的な観点から何をすべきかを論じます。