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TOEICで高得点を取る意味(伝統的日本企業編)第3回

Purota / Pixabay

前回のおさらい

前回のおさらいをすると、僕の拙いTOEIC経験から得られたimplicationsとその話をする過程で脱線して、コツコツ勉強するにはどうしたら良いか、という点をお話ししました。また、implicationsとしては、真の英語力がなくてもTOEIC用の勉強を重ねれば一定程度の点数は取れること、一方で真の英語力があればTOEIC用の勉強をしなくても点数は上がること、をお話ししました。

今回は前回お話ししたとおり、本題の伝統的日本企業でTOEICで高得点を取る意味の残りの二つ(伝統的日本企業における英語力を必要とする仕事の捉えられ方、スキルの蓄積)の観点から説明します。

英語を扱う仕事は未だ傍流がゆえに美味しい

先日お話ししたように伝統的日本企業の上の人たちは、以前に比べて英語ができる人が増えたとは言え、まだまだ20-30代の就業者に比べれば多くないため(少し調べてみました、いや、これ以外と年代別の英語能力の差異を示す論文ってないんですね。。ようやく見つけたのが、以下でした。

日本人英語使用者の特徴と英語能力」, 小磯かおる,

http://jgss.daishodai.ac.jp/research/monographs/jgssm9/jgssm9_08.pdf

これのp11によると、少しデータが古い(2006年)ですが、実際に40代以降の英語能力は20-30代に比べて同等か以下ということが見て取れます。他にも、現場で英語を使うのは、30-40代で、20代ではまだ任せられないから30-40代の英語力がピークでそこからピークアウトしていく、、なるほど。。面白い調査ですね。)、英語のように、そもそも読み解くのに必要以上に時間がかかるような「下仕事」については、部下に丸投げしてしまいたい、と思っています。なぜならば、というと、もう伝統的日本企業の上のレベルになると、その先の出世如何って英語力云々じゃないんですよね。英語力の巧拙によって、その先が決まるということは、伝統的な日本企業の場合は、極めて限定的なケースを除いて起こりえない。極めて限定的なケースとは、例えば、米国法人で問題が生じ、議会招致を受け責任者として議会で証人として証言する際に現地弁護士と戦略を練って、上手く立ち回ることで、大きな問題を回避することができた、というようなケースです。しかしながら、証人本人が発言し、質疑に対応しなければいけない、というようなケース(米国でブレーキ訴訟の際に、トヨタ社長が行ったように)でなければ、通訳を使えばやはり何の問題もなくその場を凌げるため、かなり限定的です。

ですので、こと英語関連の仕事については、伝統的日本企業の上の人たちは、基本的には自らが深く介入してリスクをとるようなことは避けて、あえて部下なり担当に主体的に動いてもらったりしてほしいのです。もちろん、それでポシャった時は、その部下なり担当の責任にできるということもあるにはあるのですが、どちらかといえば、そういう底意地の悪い意図というよりは、自分のリソース配分にかかる費用対効果の側面から、英語が関わる仕事に張り付いて部下の一挙手一投足に気を払うのは馬鹿らしく賢明な仕事の仕方ではないからということです。できる奴から適宜報告を受けてコメントする程度にしたほうが上手く回る。

思うに、ゴリゴリの伝統的日本企業で、時折海外戦略がやたらと奏功することがありますが、恐らくこういうことなんじゃないかと思いますね。つまり、現場に相当程度権限が与えられていて、英語が苦手なあるいは、大した成果にならないと考えている上の人たちは、それこそ大まかな方向付けだけをして、あとは現場に委任して、比較的やりたいようにやらせる、という。結果、上の介入もなく、優秀で働き者の現場が好きなようにやって、上手くいきました、というような、そういうことなんじゃないかと思います。

一方で、日本語で進められる仕事はというと、まさに自らの主戦場でそこで「自分の色」を出して、現場に入ってバリバリ仕切っていかないと、そもそも現場から舐められるし、仕事の出来る腹心に寝首を掻かれかねない。また、更に上の役員とか副社長等から、厳しく評価される。というわけで、かなり上の人も、細かく見てくるわけで、実際にかなり詳しい。口を出すどころか、部分的に手まで出して、ここは「俺が出張るから」とか張り切ってしまうという(^^;;)。

皮肉なことに社内のお偉いさん方が脈々と築いてきた国内のコア事業(過当競争、人口減、需要低迷によりレッドオーシャン化、右肩下がり)こそ最も大胆な改革が必要にも関わらず、お偉いさん方の顔を立てたり、顔色をうかがったり、あちこちの面子を気にしなければならず、結局、ドラフト段階では革新的だった企画も、数々の社内要人との打ち合わせを経る中で叩かれ凡庸となり、現状維持とか、朝令暮改的な施作の実行に留まってしまう、というのは、皆さんよく見られる光景ではないでしょうか?

こうした状況を踏まえて、浮かび上がってくるのは、英語関連の仕事は、「結果さえ出せば、そのプロセスには上は一々口を挟んでくることは少ない(するほど時間がない)。」一方、日本語関連の仕事は、「逐一、鬱陶しいほどやり方(それこそ、会議の参加者とかタイミング、資料の体裁も含めて)に口を出してくる」、という現実です。

もちろん、それでもあえて日本語関連の仕事で成果をあげるというのは可能です。膨大な時間と労力さえ使えば、上司のそのまた上司の監視下でも期待を上回る成果を上げることは不可能ではないです。それに、国内コア事業で成果をあげられれば、組織内の出世の道も開けます。しかしながら、多くの人にとって自分の仕事をマイクロマネジメントされるという状況は酷くストレスフルで気が滅入ってしまいますし、何だか自分が単なる傀儡のように思えてしまうものではないでしょうか。

上記に照らすと、出世を第一に狙うのではなく、自らの仕事の責任は自らケツ持ちし、プレッシャーを感じつつもプロとしてやりたいようにやる仕事というのは、英語が絡む仕事に多いというのは実のところ伝統的な日本企業だからこそありえるのです。

ただ、先ほど言ったように気をつけていただきたいのは、何が何でも保守本流として出世したい人には、お勧めできません。英語関連の仕事というのは、表向きは重要と謳っていても、なんだかんだ評価されるのは国内コア事業だったりするわけです。なぜなら、それが会社のDNAと密接に結びついているからでしょうね。どんなに今伸びているのが海外部門だったとしても、出世する人数が多いのは昔からある伝統的な事業なのです。(もちろん、海外部門からの出世もゼロではありません、しかし、圧倒的多数を占めるのは、英語能力がキーとならない部門出身が多いのです。)

ですので、目的によっては、英語が絡む仕事に携わることは、その目的達成に際してマイナスに働くこともありますので、その点は注意すべきです。

で、話を戻して、そうした伝統的日本企業の中では、比較的好き勝手できる部門で働きたいと考えるのであれば、これはやはりTOEICの点数が重視されるんですよね。

前回述べたように、責任者が判断を回避して責任を免れると同時に、一応の客観的事実として英語力の高さをTOEICの点数と結びつけて、異動先を決めることができるため、TOEICというのはとにかく便利なのです。

ここまでTOEICが有名になってしまって、英語能力の基準ですとか、助成金の基準ですとか、その他もろもろの企業の英語能力評価の仕組みが、TOEICを基準に回っているといっても過言ではない。そして、皆さんご存知の通り、一度作られた規則やルールは、日本社会では現状維持バイアスが強くかかり、よほどのことがない限りはそのままにされます。その規則やルールの本質的な意味や実効性は、問われることはない。

ところで、規則やルールがなぜ変えられずに放置されるのか、僕は常々疑問に感じていたのですが、ちょっとその理由を考えてみました。理由は以下2点あります。

一つは、「今大きな欠陥なく回っている仕組みを撤廃して、新たな仕組みを作る」ことで、社員が得することはほとんどないからです。伝統的日本企業というのは、一部業績評価が組み入れられているとはいえ、結局のところ年功序列です。つまり、既存の仕組みを叩き潰して、素晴らしい仕組みを作ったからといって、給料が増えるわけではない。その一方で、失敗した場合、部門の長以下、雁首そろえて全員が責任を負わされます。つまり、社員にとっては、特段の問題が生じていないのであれば、現状維持でリスクのあるアップサイドは取らず、ダウンサイドを極限まで減らす、という方向に全てのアクションが流れがちです。流れがち、というふうに、なぜ歯切れが悪いかというと、時に優れた勇気ある現場の判断で、リスクをとってアップサイドを取りにいくこともゼロではないので、そう言いましたが、それでも圧倒的多数は、そんなリスクは取らない。そりゃ、アップサイドは限定的でダウンサイドが無限大なら、合理的な人間であれば、危機的状況が生じていない限りは、現状維持を選ぶでしょう。

このように年功序列の制度が弊害となり、組織全体が保守的に傾くことの座りが良い、心地よいと感じてしまうから、というのが一つ目の理由です。

次に、現状存在する仕組みを撤廃する、ということは、その仕組みを作った権力者の顔をつぶすということになります。そして、伝統的日本企業においては、ルールを作った人は、偉くなっているものなのです。たとえ、そのルールが時代遅れになったとしても、抜本的に手を入れることは、その偉い人の顔に泥を塗るようなことに等しい。実際には、権力者は実はあまり気にしてなかった、というようなケースであっても、その部下は気を使って顔をつぶす可能性のあるアクションは行わない。そのアクションの具体例の一つが、彼・彼女が作った仕組みを撤廃して新たなより良い仕組みを作るということなのです。結果、空気を人一倍読む伝統的日本企業の社員としては、そんなことするわけにはいかない、それなら放置した方が賢明だと考える。期待値として、その方が上、だと。

現状の改善より、偉い人のメンツが重要だ、と、それこそが現状の仕組みが変えづらい二つ目の理由です。

これらの理由により、伝統的日本企業では、一度作られたルールはそのままとする力学が働きます。

これって、実は、世界を席巻していた日本の電気製品が、近年急速に世界シェアを失っていたことと繋がっているんじゃないかと個人的には思います。僕は電気製品のメーカーで働いているわけではありませんが、同じような感じで、既存商品の機能を削ろうとすると、「いや、これは今の常務の肝入りで導入された機能だから、なくすわけにはいかんだろ」、とか、「お前、この機能は、この部門の長であるAさんが長年の苦労の上、取得した特許が元になっているんだろ、これをなくすとAさんのメンツはどうなるんだよ」、とか、そんな感じで、既存機能を維持したまま、どんどん新しい機能が追加されていく。それゆえに、日本の大手電気製品のマニュアルは恐ろしいほど厚く分かりづらいです。

例えば、目の前に某電気メーカーの電子レンジがありますけど、直感的に使える部分なんて、ご飯あたため、おかず温め、くらいしかありませんもんね。。それ以外になると、とてつもなく厚い操作マニュアルを読みこなさなければならず、うんざりします。一方、他の新興系格安電気メーカーの製品のほうが機能がシンプルでよっぽどわかりやすいです、はい。

高機能だけど、グローバルに売れない、というのは、日本の市場に特化したガラパゴス的製品だから、というのは、単なる言い訳で、実は、日本人のニーズすら的確に捉えておらず、消費者もうんざりしていて、「今までは仕方ないから、それを買っていた」けど、今は他の選択肢もあるから、別に買う必要もなくなってきたから、売上も落ちている、に過ぎないのかな、と。そんな風に僕は思うわけです。

消費者が求めるのは、高機能なマニアックな製品ではなく、わかりやすくシンプルにニーズを満たしてくれるデザイン性のある手頃な商品であって、それであれば、ここまでの機能はいらないでしょう、と。

まあ、例えば、炊飯器なんかは、いらない機能が年々増えている好例なんじゃないですかね。はっきりいって、5年前の製品でも、誰一人味の違いなんか気づかないんじゃないですかね。炊飯釜を職人さんの削り出しで作って、さらにダイヤモンドをコーティングしたり、中で沸かせることで米を躍らせて、とか、ありますけど、値段が10万とかしますから、ちょっと高すぎじゃないか、と。

もちろん、米の専門家が食べれば、微妙な味の違いとかわかるのかもしれませんけど、一般消費者ってそこまで気にしてますかね。その違いを大きなものだとわからせるのが、マーケティングだよ、と言われればその通りなのかもしれませんが。。もう少しシンプルで分かりやすい製品を!、と思うのは僕だけなのでしょうか。

さて、話を戻して、TOEICというのが、英語力を測る指標として、組織の中に組み入れられているのだから、それを自分の将来に利用できるのであれば、利用するに越したことはない、という話でした。

高得点をとること=英語力が高いこと=英語力が高いと人事部が社内でアピールできること=英語を使う仕事が多い部門に異動できる可能性が高まること、であるがゆえに、TOEICで高得点をとる理由となるわけです。

2つ目の理由は、以上のとおりです、次は3つ目の理由についてお話しします。