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TOEICで高得点を取る意味(伝統的日本企業編) 第4回

stevepb / Pixabay

前回のおさらい、と伝統的日本企業の最新事情

前回は、伝統的日本企業においては、英語が絡む仕事はより若手・中堅に実質的な権限が与えられがちであって、なぜそうなのか、という点を、しがらみが多いが出世に有利に働く日本語が絡む仕事、との対比でもって説明しました。そこから、話は脱線して、伝統的日本企業で一度導入された仕組みが中々変えられない理由を述べ、更に話題は日本の電機メーカーの電気製品はなぜやたらと高機能でマニュアルが分かりづらいのか、という点も仮説を交えてお話ししたところです。

ところで、改めて伝統的日本企業の問題点を考えてみたんですけど、前回お話しした「上に気遣いしすぎて、結果何もしない(現状維持)ことが、プラスに働く評価制度」に加えて、「若手教育システムの瓦解」も、現場レベルでは意識されるようになっていると思います。

これから僕が話す内容は、所謂、「最近の若者は」的な話ではなくて、組織の仕組みが誤っているが故に生じている歪みの一つの例として、聞いていただければと思います。

(というか、最近の若者は、的な話をするのであれば、最近の学生さんは概してよく勉強しているし、昔に比べて優秀だ、ということになります。いやあ、本当に昔に比べれば、皆さん真面目ですよ。)

まず、伝統的日本企業における教育システムといえば、どういうものを想像するでしょうか?

多くの人が、昔ながらの効率を無視したきめ細かいOJTが存在し、新人は厳しいながらもある意味先輩と二人三脚で手塩をかけて育てられハードスキルを徐々につける一方、仕事の外での飲み会や付き合いの中で人間関係を構築しつつソフトスキルも身につけ、一人前の伝統的日本企業におけるサラリーパーソンとしてプライドを持って組織に貢献していく、という教育制度を想像するのではないかと思います。

まあ時間はかかるけど、あとは現場で責任持つから、的なある種の牧歌的なシステムが、その良さだったと思うのですよね。

しかし、そのシステムも、中途半端なパフォーマンスベースの評価制度が組み込まれた結果、今まで現場で裁量を持って管理していた部分が、本社から数字でキチキチ評価されるようになり、成果に繋がらない仕事に時間を使うことが許されなくなってきた結果、現在は崩壊しつつあります。

具体的には、先輩が後輩を指導しても、特段成果として報告することはできないし、むしろ下に成果を上げられると自分の評価が下がることになるため、現場が下を育てるインセンティブを失いつつあるし、現実に育てる余裕もなくなっている。

また、パフォーマンスベースとか言いながらも、「でかい成功をすれば、小さな失敗は多めにみる」、というものではなくて、どちらかといえば、「小さなミスは確実に減点されることに加え、でかい成功は厳しく審査される」というような悪い意味でのセコいパフォーマンスベースの評価制度であるため、上司としても若手に対して「失敗なんて気にするな、まずはやってみろ!」とはならず、まずは「余計なことを考えずに、まずは俺の言われた通りにやれ、前例踏襲しろ、頭を使うな。」というように、現状維持バイアスが一層強く作用する環境となってしまった。

僕自身の経験をもってしてもですね、それは強く感じます。僕が入った10数年前ってのは、日本版金融危機を乗り越えた直後で、どん底に陥った日本の金融界は後は上に登るしかない、という底入れ感がありました。当時の米経済が住宅バブルに片足を突っ込む状況の中、日本も流れに乗って、頑張って這い上がっていこうぜ、という風潮はあった。

氷河期とかいって採用数を大幅に削減したせいか、人が足りないし、1年目から実質的な仕事に携わらなければならない、という切迫感があったのは事実と思います。

またですね、今ほどパワハラとか、コンプラとかも厳しくなかったので、実質的な仕事に携わらせて、できなかったら劇詰めして朝も夜も関係なく、できるまでやらせる、というやり方も横行していたんですよね。

(生ぬるい学生上がりの僕は、そこで正に地獄を見たし、精神破綻一歩手前で、何とか踏みとどまったんですが、なぜ踏みとどまれたかというと、当時僕は会社の独身寮に入っていたのですけれど、たまたま仲の良い同期と同じ寮で、毎夜どちらかの部屋で愚痴を言いながら酒を飲んで憂さ晴らしをする機会に恵まれたから、という情けない理由です。いやあ持つべきものは友ですね。(^^;;))

とまあ今ではあまり考えられない環境で、荒療治だったんですけど、いずれにせよ、仕事に対するsense of ownershipを嫌が応にも植え付けられる状況ではありました。

しかし、今はですね、そういう何が何でもやらせる、というのは、伝統的日本企業では、風潮として少なくなってきていると思います。

上に述べたパフォーマンスベースの評価制度の部分導入による弊害に加えて、正直、厳しく育てて、例えばコンプライアンス上云々とか、若手にのたまわれると上司としても気にしないといけないし、その対応で下手を打つとそれこそ管理責任を問われる。

とするとですよ、下手すると自分が傷を負うリスクをとってまで、厳しく育てるくらいだったら、実際に仕事ができる中堅に仕事をやらせて、若手には実質的な仕事を与えず次の異動までいてもらう、という方が賢明なやり方なのですよね。

お客様として次の異動までゆっくりしていっていくださいよ、という。

頑張って育てても、別に給料が増えるわけでもないし(そもそも会社が最高益上げてもせいぜいスズメの涙程度の給料しか増えないですしね、もう少し大判振る舞いして欲しいですよね(^^;;))し、お互い踏み込まず、win-winで行きましょうよ、と。

もちろん、誰もリスクは取らず、組織として「ちゃんと機会を与えたというポーズをとるための」外部研修とかセミナーは増えているのだけど、まあそれって机の上でのお勉強でしかなくて、現場で使いこなすには、かなりの経験が必要です。でも、その経験をさせる機会を若手には十分には与えていない。現場にも、若手にそうした機会を与えるインセンティブに乏しい。

これじゃ、確かに上司も若手も楽なのかもしれないけど、仕事の面白みは中々分からないし、プロ意識も芽生えないのではないかと、僕はそう思うのですね。

全部が全部そういう状況だと言う気は毛頭ありません。中には、懐が深く、部下の成長を第一に考えリスクをとって仕事を任せつつも、ミスの責任は自分が取り、チャレンジ精神を大事にする、人格者でデキる上司もいるでしょう。でも、上司のそうした姿勢が報われるようなシステムになっているとは、お世辞にも言えない。どちらかといえば、事なかれ主義が有利に働くシステムとなっている。

とまあ、こうした古き良き伝統的日本企業の若手教育システムが崩壊しつつある、というのは、昨今の日本企業が直面する問題点の一つではないかと思います。

ついでに、も一つ、僕が昨今思う伝統的日本企業の問題点を述べるとすると、やはり全般的な業務の進め方ですかね。

グローバルな競争の中では、伝統的日本企業の合意形成のやり方ですとか、企画決定までのプロセスは、極めて不利に働きます。情報が一瞬にして世界の端から端まで伝達する現代においては、意思決定のスピードは、グローバルにビジネスを展開する上で、顧客のニーズに適時に答えるための最低条件ですし、もはやそれなしには、土俵にも立てないはずで、それ故に、世界の名だたる企業が、いかにより正確で迅速な判断をするために、組織構造や意思決定のプロセス、それを支えるITインフラを高度化することに日々執心しているわけです。

にもかかわらず、伝統的な日本企業の多くは、現場に裁量権が与えられず、先輩、上司、その上、さらにまたその上、といったように一つ一つ丁寧に同じ内容を説明して組織の合意形成(根回し;当該議案を組織的に決定する会議で、サプライズ(上の人たちが初めて見る案件とならないように)が生じないように事前に、各関係者に説明して、意見を取り込むことで、その後の合意形成をスムーズにすること)を進めていかなければならないし、その過程で、いろいろ口出しされて、前回いったように、発案者のオリジナルはどこへやら、最後には、何の新規性もない退屈な案になってしまいました、ということが往々に起こってしまう。

そのやり方の是非(関係者間の悪い意味でのサプライズも衝突もなく、less painfulなのだから、そのやり方は間違っていない、と考える人も多くいます、ここでは間違っているか、間違っていないかは深入りしません。)は別として、グローバル経済における競争上の有利・不利で考えれば、不利です。それも圧倒的に不利です。

資本主義経済の要諦は、商機を見いだしアクションを素早く起こしていかに多くの金を稼ぐか、であって、世界のライバルは、そのためにいろいろと無駄を省いて効率化している中、日本企業だけは良くも悪くも従来の業務の進め方を変えずに、非効率が温存されている部分があるし、それを変える動きも出て来ない。

それこそ、稟議書で数え切れないほどのハンコをついて、決裁まで膨大な時間をかけた挙句、ハンコをついた人間は「俺はハンコをついただけで内容なんて知らないよ、実際にはその稟議を作ったやつが責任取るべきだろ」と正々堂々と責任逃れができるという、全くもって上にだけ都合の良い、極めて不可思議(笑)なシステムは金融業界に限らず伝統的な日本企業では多かれ少なかれ存在します。

そんな無駄だらけのシステムを維持することに時間を使ううちに、ビジネス上の優位はどんどん薄れていき、時とともに伝統的な日本企業のピカピカ度合いもくすんで錆びつつある(人によっては既に錆びて朽ちている、というかもしれませんが)しまうのを運命付けられているようなものです。

もしかしたら、あと10年くらいは、既得権益を維持することで、なんとか生きながらえるのかもしれませんが、スピードを犠牲にして、メンツや体裁を優先するやり方では、右肩下がりとなることまちがいないでしょう。

いずれにせよ、この業務の進め方の非効率性は、早急に改善すべきと思います、はい。

でも、あれですよね、上に述べたことなんて、働いてる人の98%くらいは薄々感づいてるし、ちょっとでもよくしたら、劇的に改善することが目に見えているんだから、手っ取り早く実をとって変えればいいのにな、と思いますよね。

ま、もしかしたら、伝統的日本企業も、そういう意味ではまだまだ、そういうことをやっていられる余裕があって、崩壊は意外とまだ先、とかいう楽観的な見方もあるのかもしれないですが。

We will see how it goes…

TOEICで高得点をとる三つ目の理由:社内スキル・社外スキル

ようやく今回の本題に入りますが、TOEICで高得点を取る三つ目の理由について、論じます。それは、スキルの蓄積の観点からです。

まず、サラリーパーソンにとってのスキルを定義すると、スキルというのは社内スキルと社外スキルに分けられると考えます。

社内スキルとは、読んで字の如し、社内でしか評価されないスキルです。それは、上司の資料の好み、その部門で当然とされているコピーの取り方、会議室の予約方法、その組織での部長・役員のアポの抑え方、等です。これらのスキルは、組織外では全く役立ちませんが、組織内で仕事をする上では最低限学ぶべき要素となり、これを無視・軽視したやり方で上記のプロセスを実現しても、先に進めません。ちょうど、ドラクエで洞窟に入る前に洞窟の扉の鍵を取りに、どこかに行ってボスを倒さないと行けない局面がありますが、まさにそんな感じで、どんなに頭が良かろうが、優れたアイデアを持っていようが、社内スキルを身につけていないと、門前払いをくらいます。

他方、社外スキルとは、社外でも生きるスキルで、金融の基本的・応用的知識、マーケティングの考え方、オフィスアプリケーション(ワード、エクセル、パワポ)の扱い方、敬語の使い方、語学、論理的な文章の書き方、であったりします。「社外でも」活きるという意味で、社内では活きない、という意味ではありません。また、日常の会話で「スキル」と言うものは、一般に社外スキルを意味します。

1点注意しなければいけないのが、社内スキルと社外スキルは分断されているものではなく、境界線はかなり曖昧であるということです。

例えば、社内スキルの一つ一つの具体的なプロセスは確かに社内でしか活きないのですが、そのスキルが本当に意味するところを理解して咀嚼することで、社内スキルが社外スキルに昇華することはありえます。昇華、というより、昇格なのかもしれません。

具体的には、会議室を予約する、というプロセスを知って、実際に会議室を自分が必要な時間に予約できる、ことは社内スキルですが、「とある会議室のとある時間を確実に確保したいのであれば、最低でも2ヶ月以上前から予約、なり仮予約をしておき、さらに1ヶ月ごと、2週間前、1週間前、前日、と確認の電話を入れて念には念をおしておき、当日、実は取れていませんでした、ということはないようにすること、つまり、会議室が確保できていなければ会議すら開けず、今までしてきたことが水の泡になるどころか、関係者に大きな迷惑がかかる可能性があるのだから、たかが会議室予約といってゆめゆめ甘く見ずに、最後の詰めまで怠らないようにすること」というエッセンスを抽出できれば、そのエッセンスは汎用的で他の会社にいっても使える社外スキルとなりえます。

一見、軽視されがちなのが社内スキルであり、社内スキルをマスターした上で、一歩引いて、それが本当に意味するところは?と考え直すのは、とても面倒臭い行為ですし、多くの人が「所詮社内スキルだろ」と軽視し、表に出てこないので、あまり注目はされませんが、場合によっては社外スキルに転化させることも可能なので、社内・社外と明確に割り切れるものではない、ということは留意しておくべきでしょう。まあ全ての社内スキルから、社外スキルを抽出できるか、というとそうではないのですが。。

さておき、スキルを大まかに分類すると上記のように社内スキルと、社外スキルに分類できるということでした。

でですね、仕事にだけ黙々と取り組んでいると、これがとても残念なことに、社内スキルは沢山つくのですが、社外スキルの蓄積が疎かになります。現場での対応力はついたけど、体系的な知識が足りない、何となく仕事は回るけど、全体がどういう絵で、自分の仕事がどの部分にどうはまっているのかがいまいちわからない、というようなことが往々にして起こるのです。

所謂、部分最適はなされているが、全体最適がなされていない状態です。

だからといって表面上問題が生じるのか、というと、多くの場合、それでも仕事は回るし、社内スキルに精通する限りにおいては、出世することは、全く問題なく可能です。

働いてる途中に、専門書をペラペラめくって、仕事の全体像をつかむための努力をするわけにはいかないし、単に働いてるだけで、自然と社外スキルも身につく夢のような環境は中々ないものなのです。

ここで英語の話がようやく出てくるのですが、英語を使った仕事というのは、「どんな仕事であっても、仕事を通して社外スキルを高められるという美味しい仕事」なんですよね。

リスニング、リーディング、ライティング、スピーキング、全てをとってみても社外スキルになるのです。

しかも、業界や職種ごとに、使われる英単語や英語での専門用語は共通なので、他の会社でもそのまま使えるし、サラリーパーソンが働きながら越年で蓄積できる数少ないスキルの一つなのですね。

社内スキルは、社内の規則や上司が変わったら、また0から積み上げ直しですが、英語は年を跨いで蓄積できる上に、どこでも使え、評価される、あるいは評価される土俵にたつための資格となるスキルなのです。

で、そういう情報は外には出なくて、「日本語をきちんと使えたほうが評価が高いに決まってる、英語は必ずしも必要ではない」みたいな嘘とも本当とも言えない情報(確かに日本語運用能力は重要だが、英語が必要ではないと言うのは言い過ぎ)がなぜか社内の一部に蔓延していたりして、まんまと騙されたりするのですが、実際には、「英語ができないと、仕事を通して蓄積できる社外スキルを一つ失うことに等しい」と言えるのだと思います。

普通に働くなかで、小難しいことなくシンプルに自分の社外スキルの一つを高めてくれるのが、英語関連の仕事で、その仕事を振られるために見られる指標が、真の英語力ではなく、なぜかTOEICなのだから、高得点を取ったほうが良い、に決まっています。

以上が、TOEICで高得点を取ったほうが良い3つ目の理由となります。