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仕事頼まれる死亡論

Pexels / Pixabay

仕事を頼まれる迅速に完璧にこなす、本当に良いことなのか?

組織で働く限り、仕事を頼まれることは毎日発生します。誰しも、上司の怒号を浴びたくないでしょうから、オーダーを受けると、必死になって取り組み、できるだけ早く終わらせようとします。

センスのある人は、要求されていることを即座に理解し、ポイントを押さえた上で、締め切りより遥かに早く上司に成果物を提出するでしょう。

もし、上記のことが高いレベルで完璧にこなせていれば、普通の人であれば、「高い評価」を期待します。そして、それは、極めて当然のことです、なぜなら、「正に上司がオーダーしたことに対して、120%で回答して、さらに締め切りより圧倒的に早い段階で提出できた」わけですから、満場一致で評価されるべき人材、と多くの人は考えることでしょう。

しかし、ちょっと視点を変えれば、仕事を頼まれるお前はもう死んでいる状態、つまり、頼まれている時点で、既に評価が低い、ということなんじゃないだろうか、と思うに至りました。

上司目線で考えて見る

最近、ようやくというか、なるほど、そういう訳で、あの時、頼まれた仕事を一定のレベルでこなして満足していた自分は、全くもってお話にならなかったんだな、とふと気付きました。

上司目線で考えて見ると、部下に仕事を頼む、というシチュエーションって、以下のような状況なのですよね。

・上司自身は忙しくとてもじゃないけど手が回らない。

・手が回らないけど、期限が差し迫ってきたタスクがあり、やらなければいけない。

・部下は比較的手が空いており、その仕事を完遂する能力もある。

これだけ見てみると、一体仕事を頼まれることの何が悪いのか?、上司がするオーダーに答えるのが部下の役割でしょう、その役割を全うして低い評価が下されるとは何事だ、と理不尽に思うかもしれません。

しかし、上司からしてみると、以下のような思考を経て、仕事を頼んでいる段階で、「こいつは、第一線級では使えねーな」という評価に至るのではないかと思うのではないでしょうか。

・上司が忙しいという状況を認識せず、積極的に仕事を取る姿勢すら見せない。

・現在チームがどのようなタスクを抱え、何をすべきか、全体像も、個人レベルのタスクも認識できてない

・仕事を頼まれないと、自分がすべきことも分からない

・こりゃ高い評価をあげられるわけがない

頼まれる前にやっておく

つまりは、超絶に仕事ができる人、というのは、究極的には、仕事を頼まれることはない、ということになります。なぜなら、すべてを先取りして仕事をこなして、気づいた時には、既に草稿というかドラフトができあがっており、その内容を軽くチェックすることが上司の仕事となっているからです。つまり、上司いらずの部下であり、自律的にやるべきことを自分で見出し、報連相の要諦を捉え、上司に見てもらうべきタイミングで見てもらう、そのギリギリのラインまでは、自分で考えて進める、そのような姿勢が部下としての理想であって、仕事を頼まれるという段階まで気づかなかった時点で、既にアウト、というのは一理あります。

「俺が仕事をお前に頼まなければ、気づきもせず放置していた、ってことだな。仕事を頼まれる、ってことは、お前に頼まないといけないレベルまで、その仕事が放置されていた、ということだ。どんなに頑張っても、お前はもう死んでいる、ってことだよ。」と上司は思うということです。

で、ここまで考えて、今回の結論は、「仕事を頼まれる時点で、どんなに上手くこなしても時既に遅しなのだから、もっと気を張り巡らして、プロアクティブに動かないといけない」、という教訓を得たってことね、と終わろうと思ったのですが、そこで、ふと頭をよぎったのは、なぜ自分がそんなことに働く中で気付いたのか、という部分です。ここを少し突き詰めて考えてみます。

はっきり言って、一介のサラリーパーソンで下っ端であれば、そんなにすべてのことに気を回して先んじて動き、能力を100%を極限まで使いながらも、せせこましい給料で我慢する、あまつさえ年功序列ゆえに、出世すら堂々とは望まず、上司をひたすら立てる、なんて働き方するのは、グローバルスタンダードでいって普通ではないです。

しかし、伝統的日本企業の職場では、少なくとも正社員はその滅私奉公的なサービスレベル・コミットメントを求められるし、それが能力的に不可能であろうがなかろうが、絶対に否定してはいけない教義のように鎮座している雰囲気があります。

このサラリーパーソンに対する滅私奉公的なコミットメントは、(韓国を覗いて)中々他の国には見られないもので、なぜ僕たちはこれほどまでにスーパーサラリーパーソンのような超人を理想形として、働いて(働かされて)しまうのでしょうか。

スーパーマンを理想形として働いてしまう空気が形成される理由

上記の理由を以下2点と絡めて答えていきます。

まあ、少子高齢化でそもそも労働人口が減っているからだ、とか、長時間働くことが必ずしも良いわけではなくてアウトプットが重要だろう、とか、色々と模範解答や批判はあるのでしょうが、ここではあえて以下2つに絞って考えてみます。

・曖昧なjob description
・全員幹部候補生という建前

曖昧なjob description→過剰な期待の源泉

日本では、基本的にはjob descriptionなるものは存在しません。明文化されていたとしても、job descriptionそのものがとても曖昧で、ここからここまで、という風にきっちりやるべきことが決まっていない。

よく言えば、下っ端で雇われたとしても、下仕事の出来が出色の場合は、上から素質を見出され、大きな仕事を手がける機会を与えられる。悪く言えば、給料やポジションはそれほど変わらないにもかかわらず、より広い領域で多くの仕事を担当させられる可能性が高い、つまりこき使われる。

例えば、アルバイト一つ取ってもそうです、コンビニでアルバイトに入った場合でも、優秀であれば、単にレジ打ち、品出しに飽き足らず、発注、仕入れ、在庫管理、店舗マーケティング、終いには、バイトにもかかわらずバイトのリクルーティング(面接)を担当したりしますよね。普通の職場でも同じで、仕事ができるとわかるや否や、分野が違おうが何だろうが、沢山仕事を振られて、断る権利は基本ありません。

ありていにいえば、多能工的に色々なことを同時並行的に処理する役割を最初から期待されているし、できないといけないと考えられている節がある。(そして、少数だが、実際にできる人もいる)

一方、他先進国では、job descriptionがかっちり決まっていて、必要以上の仕事をさせられることはないし、むしろ必要以上(job descriptionの範囲外)の仕事をすると、越権行為だと怒られたりもします。つまり、job descriptionに明記されている仕事については、proactiveにやらなければクビにすらなりうるが、job descriptionを超えた仕事については、オーダーされてもやる必要はないし、job descriptionにきちんと書き加えていないのに、そうした仕事をさせることは認められていません。

つまり、ビジネスが拡大して、仕事の量、仕事の種類が一定程度増えた段階で、雇用条件を明確にして新たに人を雇わないといけない仕組みになっている。

既存の人員をフル活用して、何でもやらせて、できる限り新たに人を採用することを抑制する、という戦略がとれないように明確なjob descriptionという形で、働く条件が透明化され、人材の濫用ができないように雇用関連の慣習が構築されているし、その慣習に沿うように人の意識もスキルセットも適応している。

一人の人間が、畑違いのことをなんでもかんでもやらされることはありませんし、一つの機能(空いている穴)をぴったり補完する専門職として雇われています。この点は、(例え中途採用でさえ、job descriptionが曖昧(新卒の「総合職」とい何でも屋よりはマシですけど)という)日本と大きく違っていると言って良いでしょう。

いずれにせよ、仕事の境界線が曖昧だと、力を持つ方(雇用者側)は、その曖昧な境界線を自らに有利なように運用するものだし、日本の労働環境においては、job descriptionが曖昧なため、その傾向が特に強い、という話でした。

全員幹部候補生という建前全員経営的な視座とマインドセットを身につけるべきというドグマ

次に、日本では、正規採用されている人間は、誰もが全員社長になりうる、という前提で働くことになります。しかも、最初の3-4年で、幹部候補生を見極め、その後は選抜された数人のエリートが経営に必要な知識と経験を身につけるべく、厳しい競争と試練に。。。という世界もありません。

伝統的日本企業でいうと、僕が聞く限りにおいては、10年くらいは少なくとも全員可能性あるんだから、それまでは必死になってがんばれよ、的な雰囲気が形成されています。

じゃ、そんな雰囲気に流されないで、自分の好きなようにワークライフバランスを重視して働けばいいじゃないか、なんだって出世なんて気にする必要があるんだ?と思うかもしれませんが、そうは問屋が卸さないのです。

どのように問屋は卸さないのか、というと、まず早々に白旗を上げた人間は、異動希望が叶えられることはありません。そして、明らかに意図とはそぐわない部門への異動がかなりの確率で起こります。

まあ、はっきりとは言わないのですが、一つの見せしめ、的な側面はあると思いますよ。最初の数年で必死に頑張ってくれないと、上(先輩)はいつまでたっても楽にならないし、組織内で不公平感・停滞感が蔓延するんですよね、最近新人に甘くねーか、とかそういう類の不満。それこそ、一人たりとも低い志で働くことが許容されにくい環境なのです。俺はこの程度で十分、というのは、組織に対する裏切り行為に他ならない。それはまるで、全員幹部候補生なのだから、それを自覚して恥じない働き方をすべき、と言われているかのようです。

いつかはマネジメントになるんだから、と現場にずーっととどまって、同じことをしていることが許されない。現場がバカにされているわけではないんだけど、いい歳して現場にとどまっていると、「マネジメントができない無能なやつ」扱いされる。

そんなの気にしなければいいじゃん、というかもしれませんが、僕が見る限りまあ結構きついと思います。下からは、やっぱり邪魔者扱いされるし、そのうち年下の上司ができて、管理されるようになるわけですからね。そして、そんなことしているのは、自分の年代では自分だけ、という。

というように、能力があろうとなかろうと、全員がスーパーマンを目指すべき働き方をさせられてしまう、という仕組みが伝統的日本企業には巧妙に組み込まれています。それゆえ、仕事なんか頼まれてるんじゃなくて、自分で見つけて自律的に動いて、「確認」するだけの状態で仕上げるのができるサラリーパーソンだ、なんて考えが頭をよぎったのだと思います。

さらに言うとすれば

他にも、detail-orientedな国民性とか、いろいろあるのですが、まあ総じて欧米より日本のが色々やらされますよね(^^;;)。それが実際に意味があるかないかは別として、やたらとやることが多い。

で、どちらかというとネガティブなトーンで書いてきたのですが、実のところをいうと、僕はそんな日本の労働カルチャを忌み嫌って憎んでいるかというと必ずしもそうではないです。

一つは、下っ端からの観点からですが、僕も入社した時点では下っ端でしたし、今でもまだ下っ端でしたけど、「お前はこの仕事をやるために雇ったのだから、それより先は望むなよ」と暗にほのめかされることはなかったし、やる気さえあれば、ポジションにかかわらず面白い仕事もさせてもらいました。はっきりいって、ある部門にいながら、ある意味ではほとんど関連性がないけど、自分が興味がある仕事をしたこともゼロではないです。

入り口の時点で、先が決まっていて、これ以上があなたは上には行けないから適当にやってください、より、本当にやる気とコミットメント次第では上にいけるし、楽しい仕事もできる、方が仕事をする上では希望があります。最初っから専門職で決めうちってのは、ちょっと僕にはあわなかったな、今のシステムのほうが合っているな、少なくとも僕はそう思います。

でも、まあ選択権なく全員が、そういう働き方を暗に強制される、という点は、改善すべきとは思います。それもこれも、能力で給料に差をつけられないから、誰かが低いコミットメントで、誰かが高いコミットメントで、というのは、難しいんですよね。組織の内部ではっきりと色をつけるということに慣れていない。

結局、以前もお話ししましたが、働く、ということを真面目に考えると、いつも立ち返ってくるのが、新卒総合職一括採用、年功序列的昇給制度、全員幹部候補制度、とか、日本の労働市場を形作る3本柱を変えない限り、劇的に前進することはないよね、ということだと思います。

ただ、今まで述べてきたように悪いところばかりではないので、どちらかというと、抜本的に変えるというよりは、試行錯誤の上現場で細かく調整していくみたいなアプローチがあっているような気がします。

でも、今のやり方でも、できる奴は仕事するし、給料あげなくても日本人って良く働くし、和を大事にするし、きちんとした姿勢で仕事をしている限りそれなりに快適だし、で、日本の労働市場および労働文化が変わるのは、はるか先のことなのでしょうね。