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所謂ホワイトカラーのAI・Roboによる置き換えについて(伝統的日本企業の現場から) 第5回

jarmoluk / Pixabay

企画

前回の続きです、前置き無しで、直接次の部門に進みます。

企画(マーケティング含む)

マーケティングの専門家やIT企業に勤めているかたからすると、企画と一緒くたにしないでくれよ、との批判があるのは承知ですが、こと伝統的日本企業においては消費財を取り扱うメーカーをのぞいて、マーケティングを組織横断的に取り扱う部門が無いことが多いです。

それゆえに、ブランドイメージが確立されずに、その場限りの最新機能だけを単に増設した新製品が乱発されるわけですね。この点、組織横断的なマーケティングチームが機能している会社は、マーケティングチームの人間がプロジェクトベースでいろんな部門にお邪魔して、組織のブランドイメージやプロダクトイメージを最大限にターゲット顧客に届けるべくどのような手法やメディアが効率的か考えます。つまり、部門間の縦割り感が極めて薄い。これはウチの部門のプロダクトだから他の部門は口出すんじゃねーよ、といった縄張り意識が幅を効かせにくい。

で、ここまで述べると、なんてイケてないんだ伝統的日本企業は、と思うのですが、そうした組織横断的なマーケティング部門を用意しない理由はもちろんあるんですよね。それは、特段マーケティングを意識しなくても、その企業におけるネームと信用で物が売れる時代が多少は毀損したとはいえ、未だに続いているからではないかと僕は考えます。もちろん、全日本企業がそうである、というつもりはありませんが、そうした企業も少なくないのではないか、ということです。統計とってないので、何パーセントかとまではいえませんが。

上記のような経緯で伝統的日本企業においては、マーケティング部門は商品企画部門と一緒の部門が多いので、今回論じる範囲にはマーケティングを企画に含めています。他に企画といえば、金融機関で言えば、本社の営業推進なんかも同様です。主な仕事は、その名の通り企画、ではあるのですが、伝統的日本企業の場合、新規にまっさらなものを企画する、というよりは、上なり利害関係者の意見をうまく取り込み、既定路線は踏襲しつつも、少しだけ新しい視点を入れて企画する、という調整と企画半々、というのが実情です。

本社企画部門だと、トップとも距離が近いし、往々にして今市場に出ているプロダクトは、そのトップの肝いりだったりします。そうすると、その製品に付随している商品、独自のサービスなんかは、取っ払って新たな新機軸で商品を売り出すということは、難しくなります。結果として、足し算の発想しかできず、極めて複雑怪奇な機能をもった製品やサービスが生まれてしまう。その一つの例が日本で独自の進化を遂げた各種家電製品でしょう。テレビも含めて機能だけはふんだんについているけど、実際に使っているのは、「再生、温め、おまかせ」モードでしかないという。多機能になると故障も多くなるので、既存商品サポートへのコストも高まる。つまりリソースを新規商品ではなく、余計なものに割かざるを得ない。それよりは、割り切って、壊れたら新しいの支給するというふうにして、人の手を使って修理するということをできるだけ避ける、というサポートのほうが満足度が高いし、コストも安く済むケースもありましょう。消費者のニーズに応えるため、とか言いつつ、沢山の機能を付加しているけど、結果として使われない機能が増えて、むしろマニュアルが厚く使いづらくなるようなら、それはニーズには答えているとはいえないでしょう。そもそも、消費者のニーズって、Aができる、Bができる、という機能要件ではなく、使いやすい、直感的に使える、といった口には出さないけど前提としているような非機能要件も含みますが、伝統的日本企業の製品で言えば後者が圧倒的に弱い。その割には、値段が高い、ということであれば、そりゃ当然他の安くて単機能な製品を選びますよ、ということです。ただ、その結果として伝統的日本企業の売上が落ちると、当該部門が解体されて、リストラされる人が増えるわけですが、そのリストラされたエンジニアを、例えばニトリやアイリスオーヤマ、韓国・中国企業が雇って、徹底的に機能を絞り込み安くて良いものが生まれるのであれば、巡り巡って良いことなのかもしれませんが(^^;)

本社の企画部門は上記のような感じですので、真っさらに新しいものをやる、といった場合は、傍流のビジネス部門だったり窓際として冷遇されている部門だったり、企画と名のついていない部門のほうがしがらみなく新しいことができることが多いです。

ただ、それも常にそうである、というわけではなく(常にそうであったら、冷遇なんてされず人気部門となり優秀な人が集まり、既得権益となり、本社に移管・統合される)、タイミングが合えば、ですけどね。

特に出世に繋がるわけでもないのに部下がリスクをとることを促すambitiousな上司、共感・協力してくれる同僚・先輩、その新しいものが本当に時代にマッチするかどうかというタイミング、すべての条件が揃わないと、いわゆる傍流部門で新規性のある商品は作られません。例えば、デジカメ(カシオでしたっけ)も、松下のVHSもしかり、ソニーのプレーステーションも一度は干されて上がとやかくうるさく口出さない自由にやれる環境、支えてくれる周りがいたからこそ、というのは多いですよね。

最近は日本企業も管理やガバナンスが厳しくなって、そうした自由な商品開発が秘密裏に行える環境も少なくなったと聞きます。

話を戻して、企画とはいえども、常に新しいことを考えて実行しているわけではなく、忖度の割合もそれなりにある、ということでした。

で、長くなりましたが、本題の自動化される割合ですが、企画は付随する事務作業の割合が結構多いんですよね。企画って技術屋ではないので、肝心のところは外に投げるしかないので、そうすると一体何を作りたいのかを明確に関係する人々に伝える必要があります。そうなってくると、企画、企画、といっても、自分で何もかも決めて進めるわけではなくて、リサーチに市場調査を投げたり、消費者にヒアリングしたり、それらの事務作業が発生するわけですが、これらはすべて自動化可能です。今は電話でアポとってるかもしれないけど、徐々に共通のカレンダーを通じて空いているところに勝手に入れる、ことが主流になっていくでしょう。組織力学的にも、経営企画や人事ほど権力があるわけではない現場の一つでしかないため、全体の業務の3割くらいは自動化される運命にあるように思います。

ちなみに、この職種に限ったことではないですが、自動化されるか、されないかを論じることと、その企業がそもそもなくなるか、ということは別の議論です。こと、このエッセーにおいては伝統的日本企業に焦点を当てており、そこでは時に効率性より重視されるファクターがある、というのも今まで沢山説明してきました。

そうはいっても、今すぐにやめるわけにはいかない、意外と心地よい、人は様々な事情で今いる組織に滞在することがあります。(現場維持バイアスもあるでしょう;status-quo bias;自分の現在の状態・過去の判断を正当化するために、石kっていの前提となる将来どうありたいか、という要素を過小評価し、今このままの状態でいるを過大に評価すること。)

で、折角いるのだから、少しでもその組織内で意味のある、価値のあることをした方が良い、という考えに基づき、自動化云々を論じています。したがって、自分が自動化の余地がすくない部門で働いていたとしても、グローバル経済とイノベーションの潮流に巻き込まれ、伝統的日本企業がなくなることは十分にありえます。なぜなら、他グローバル企業は、日本企業が踏み込まない分野でさえ自動化を導入するし、価値の高いこと以外には一切人を使わない、というある意味では、全体の生産性を高めるために当然のことがごく当たり前におこなわれているからです。

ですので、長々と話している部門ごとの自動化云々の前に、当該伝統的日本企業がそもそもマーケットから退出する可能性もゼロではありませんので、その点はきちんとリスク管理しておいた方が良いでしょう。まあ、そうした不測の事態が起きた場合に困らないように、普段から外にも出られるスキルを高めておく必要があるということですね。

もちろん、出世云々が、スキルに直結しているケースも多くあります。特に入社してから5年以内の多くの人にとっては、単に出世を狙う、ということでスキルは大きく向上するはずですので、プライベートを一定程度犠牲にして働くことは決して間違ってはいないはずです。ただ、人を蹴落としたり、人格を歪めてまで出世を狙う、というのは、後々矯正するのも大変ですので、その点は勤めて常に良いやつ、爽やかなやつ、信頼の置けるやつ、で且つ出世も狙う、くらいのバランスは保った方が良いでしょう。

今回は色々と関係ない話をしてしまいました。