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仕事の成果を効果的にアピールする方法(伝統的日本企業編)第2回

geralt / Pixabay

おさらい

前回は、なぜ仕事の成果をアピールしなければいけないのか、を少し細かく説明しました。

端的にいうと、そんな日常の一手間や工夫、下っ端の仕事ぶりを丁寧に評価する暇は上司には中々ないし、あったとしてもフェアに評価できる能力があるかもわからない上に、評価軸そのものが、印象、好みによって上下左右に動くという定性的、動的な側面を含んでいるため、仕事の成果を評価してもらうためには、ただ黙々と仕事をこなしていればそれでいいのではなくて、適切なアピールが必要となる、ということですね。

では、今回は、こうした現状を踏まえた上で、何をもって適切なアピールというのか、どうアピールすべきなのか、明確にします。

仕事の成果の評価とは、一体いつ行われるのかを考えてみる

はじめに、仕事の成果の評価とは、どのようなタイミングで行われるのか、考えます。なぜかというと、仕事の成果の評価とは、ある一時点のスナップショット的な瞬間最大風速ではなくて、評価期間全般(但し、評価期間が終焉に近づくほどそのウェイトが高くなる)における評価の積み重ねだからです。つまりは、終わりよければ全て良し、ではなくて、終わりだけでなくプロセスもしっかりとみられる。はたまた、プロセスだけでなくその人の人間性や仕事への取り組み姿勢も評価される、というわけです。単に評価期間の最後にあるプレゼンで上手くやればそれでいいんでしょ?というと、そうではない。

ですので、評価期間において評価される全てのタイミングで適切なアピールができていれば、その集積である評価も正当なモノになるだろう、という前提のもと、まずは主にどのタイミングで評価されるのか分類してみよう、ということです。

「全ての瞬間において適切にアピールしてください」というのも一案なのですが、それでは全くもって考える材料にはならないので、もう少し丁寧に分類します。具体的には以下の通りです。

  • 仕事云々以前の態度
  • 仕事を実際に受けた後、仕事着手前
  • 仕事に着手した後、完成前までの定期打合せの場
  • 仕事完遂直前
  • 仕事完遂後
  • ボーナス評価等定期的なオフィシャルな評価前
  • ランチでの雑談中
  • 飲み会中
  • 上席(上司より偉い人)との会話中

以上の評価される全てのタイミングで緩急をつけて(今回、僕が提案するアピールは典型的な伝統的日本企業において8割型ワークするであろうと思われる一例であり、現場での運用に際しては、個々の職場、会社のカルチャー、上司の嗜好に合わせてファインチューニングを行うことが必要です。緩急の程度をcalibrationするということです。マニュアルは、その通りに行えば100パーセント大丈夫、というone size fits allを目指すと、結局のところ、(そんなマニュアルはないにも関わらず、あるという)嘘をつかないといけなくなりますが、僕自身はそれよりは現実をとらまえたうえで、どう考え、どう行動するか、思考のプロセスの一例をリアリティをもってお伝えしたいという思いが強いです。マニュアルはあくまで考える材料として参考程度に捉え、自分で試して最適解を探るという作業を楽しむのが良いと思います。)、適切なアピールを行うのが良い、ということになります。それではいかにも長くなりそうですが、一つずつ片付けていきましょう。

仕事云々以前の態度

一つ目は、仕事云々以前の態度、というか社会人的な常識を守れているか、というものです。これはですね、一つ一つ説明していてはそれだけで1万字くらいいってしますので、ここでは要点だけお話しします。

ところで、僕が学生から社会人になった瞬間に思ったのが、この「社会人的常識とは一体何なのか」ということです。それこそ、挨拶、服装、言動、会釈の仕方まで、ものすごく広範に「社会人的常識」が蔓延っているわけです。にもかかわらず、その定義は人によって違う、極めて曖昧。

更に、人によって、というのは受け手によって、だったらまだいいんですよ。上司に対する先輩のふるまいとかパクればいいわけですから、それはそれほど難しいことではない。問題は、受け手だけでなく発信者によっても社会的常識の要求水準が大きく変動することです。

例えば、議事録の書き方一つとっても、ある先輩はポイントを要約して短めに短時間で完成させていて、それに対して上司は一つのツッコミも入れないにも関わらず、その部門に最近赴任した新人君が同じように議事録作成する際にポイントだけ要約すると、「おい、お前、これ、分かって書いてるのかよ、常識的に考えてわかるだろ(←当時、全くわからなかった(^^;))、ちゃんと発言の真意を汲み取ってやり取りを詳述しろよ」とか言われます。しかも、指示通り詳述したら、細かいところに無数の指摘が入り、結局、1日がかりで議事録を仕上げる、なんてことが往々にしてあったりします。伝統的日本企業では、「あるあるネタ」の一つですが、これたまらんですよね笑。つまり、受け手(上司)の社会常識の基準が、発信者に応じて変幻自在に変化しうる、という。

受け手側の基準が、自分という発信者の行動、言動、成果物に対して、どのように変化しうるのか、いくつもの想定パターンを念頭におく、ということが社会人的常識をとらまえる上での前提となります。いわば、それが出発点です。そこから先は、もう慣れなので、そりゃたまに怒号を浴びることもありますが、上記のような前提を懐に忍ばせておけば、途中で折れることなく徐々に対処できるようになります。まあ所詮はそういうものですし、社会人的常識なんて、日本社会で働くサラリーパーソンでしたら誰だって身につけてるものですので、そんなに難しいものではありません。

ただ、学生を卒業した直後って、そういう明文化されてないものに、自分が縛られる、ということ自体に嫌悪感を抱くんですよね。それこそ、そんな会社で働くくらいなら、やめてやる、くらいに。まあこの辺りを慣れ、の問題で片してしまうのか、伝統的日本企業に蔓延る悪習であり微塵も認めるべきではなく、ファクトとロジックで仕事を行うべきであり、それ以外の忖度的な代物は一切排除すべき、と言うのか、どちらを好むのかは、各人のスタンスの違いだと思います。ただ、前者を好む、というか、前者の世界しか知らない人が今までの日本の会社では多数派で、それで日本国内市場、並びに一部グローバル市場ではうまくやってきた企業も多かった。

まあ上記のような明文化されてなくて形もないようなものを慮る能力って身につけるのに時間かかるじゃないですか。その割には、全世界に共通のハードスキル、と言えるべきものではなく、日本国内の伝統的日本企業でのみ有効なソフトスキルであるという。だったら、そりゃ、そんな局所的にしか潰しが効かず、かつ身につけるまでに苦痛を伴い、中々目には見えないソフトスキルを身につけるよりは、経済、情報、サービスのグローバル化がネットというプラットフォームを通して実現する中、そのプラットフォームにおけるプロトコルであるプログラミングを学ぶのを優先しますよね、特に新たに労働市場に参入する若い人ほど、そうなるはずです。

というわけで、今までにも増して、沢山の若い人がニューエコノミーであるIT産業に流れ込んでいるわけですね。グローバル市場で潰しが聞きますから、プログラミングのようなソリッドなスキルの方が。

で、ここで、じゃ、伝統的日本企業が大事にしてきたソフトスキルって、無駄だったのか、というと、事はそう単純ではないんですよ。

ここで、僕はAもあるし、Bもある、というような形で責任回避して愚にもつかないレトリックで結論を言わず煙に巻いている、と言っているわけじゃなくて、本当にそう簡単に何が無駄、何が無駄じゃないって言えるものじゃないんです。

というのも、伝統的日本企業で尊重されてきたソフトスキルって要は相手に如何に不快感を与えずに事を進めるか、というのを示しているわけです。で、その不快感を与えずにってのがポイントで、ニューエコノミーだろうが、オールドエコノミーだろうが、やっぱり偉い人はいるわけで、偉い人にロジックとファクトで何も考えず知ったような口聞くと、そりゃ普通に冷遇されるし、首切られることもあります。これは古今東西変わらぬ普遍の真理です。雇われである限りは、自分の目上の人間の方向性を一定程度は慮る必要がある。

ここで一つツイストが入るんですが、所謂そういう偉い経営層と絡まない兵隊は、別に慮る局面がないので、そんなソフトスキルなんてなくても、(一見何の問題もなく)仕事が回るってことなんです。でも次第に、年を経るに連れて今スタートアップの会社も平均年齢上がっていきますし、そうなると、新卒で入った人間もどんどん経営層に近い位置で仕事をするようになります。で、それなりに何人も部下を抱えるようになって、その段で、今までこういうスタイルできたから、僕は不快感を与えずになんてソフトスキルなんて知りません、人の感情も知りません、ファクトとロジックだけで判断しますよ、とか言ってていいのか、という話です。奇しくも、ファクトとロジックだけで判断するなら、それこそAIなりロボで代替できるわけで、人間っぽいファジーな部分を業務に取り込まないと、この先働き続けて、それなりに給料もあがって、という風にステップアップするのが難しくなるんじゃないかと僕は思うんですよね。

ですので、突き抜けている人はいいです。そんなん最初から勤め人として働くことがバカらしくてさっさと起業するでしょうし、上記のような不快感を与えずなんて気にしてたら起業家としてエッジの効いたサービスなんて作れませんから、それは問題ないというか、望ましい。

でも、まあ人には向き不向きですとか、家庭の事情とか色々あって、日本にいないといけないケースもあるでしょう、特に突き抜けてもいないし雇われで一生を終える人もいるでしょう、そうした人が上記のソフトスキルは無駄だと決めかかっているとしたらそれは問題でしょう。いや、もちろん、経営層に交わる仕事なんて興味ないですし、一生偉くなるつもりもないから、僕は一生現場の人間として同じ給料で生きるんです、ってことなら、何の問題もないんです。ただ、ライフステージによって必要となるお金も違うし、折角会社で働く限りはより大きな仕事をしたいと、思っているなら、ニューエコノミーであっても少しくらいは上記のようなソフトスキルを身につけた方が上に行くに連れて差別化の材料になるんじゃないかということです。スキルっていうのも、需給で評価が上下しますからね。誰でも身につけているハードスキルでは思うように差がつかない、場合、やはり差をつけられるのはソフトスキルで、それを完全に断ち切るほどハードスキル一本で食ってく実力があるのか、ないのか、ですよね。この辺は、自分の実力の見極め、とどう生きたいか、のバランスですね。で、話を戻して、ソフトスキルなんですけど、このソフトスキルの良いところが、メンテコストが著しく低いだけでなく、応用が沢山きくという点です。ソフトスキルの良いところは、それほど陳腐化しない、ということなんですよね。あまりにマニアックに細分化すると、陳腐化するんですけど、原理原則を知っていても時代とともに大きく変わるものではないし、損はない、とそういうことです。

だからこそ、歴史上の人物が今までになしてきた当該ソフトスキルを示す例が、今だに語り継がれ、敬意を持って受け入れられているのでしょう。(例えば、羽柴秀吉の草履を懐で暖める話)

ものすごく寄り道しましたが、何が言いたかったかというと、社会人的常識を不要とする環境・会社は増えてきたものの、どうせいつかは必要になる可能性が高い人にとっては、そのエッセンスは吸収しておく価値がある、ということでした。

ちょっと長くなりすぎたので、本題の仕事云々以前の態度については、次回お話しします。