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Lなのに少量問題を考える

27707 / Pixabay

Lなのに少量問題

今回もどうでも良い話をします。皆さん、寒い昨今、カフェで飲み物を頼む機会が多いことと推察いたします。

底冷えする今年の冬についていえば、いつにも増して温かい飲み物で暖を取りたくなるのが人の常。冷え切った体には、熱すぎるくらいのカフェラテは五臓六腑に染み渡り、一度口をつけるたびに、幸福感に包まれるものです。

そして、できればその幸福感はできるだけ長く保ちたいものです。必然、どうせ楽しむなら一度で長く楽しみたいとの心理が働き、注文する際は、コストパフォーマンス(容量単位あたりの値段が安い)に優れるLを注文することになります。

さて、Lを注文したものだから、当然Mを注文した時より容量が多いことを期待するでしょう。そして、その期待は多くの場合、裏切られることはありません。大抵は、店員さんもこちらの意を汲んで、満面の笑みと共にLにふさわしい量をなみなみと注いでくれます。

しかしながら、そうじゃない場合もあります。例えば、Lの容器にもかかわらず、Mと同等あるいは少ない量を注いだ上で、悪びれずシレッと手渡しされるケースです。

MとLの容器を比べてみると、底の方に関していえば、むしろLの方が細い傾向にあります。それは持ちやすさを考えてのことでしょう。LでMくらい太いと、端的に持ちにくいですし、熱い飲料の場合、落としたりこぼしたりして火傷のリスクも高まります。

Lの場合は、それを長さでカバーするわけです。底から口に向かっていくほど、太くなり、最終的な口の直径はMと同等かそれ以上、ということになります。

とすると、Mの8割注ぎ、Lの6割注ぎ、を比べると、口に近い容積が少ない分、量的には、M=L、下手するとM>L、にもなりうるわけです。

なりうる、どころか、実際になってしまった例に僕は何度も遭遇したことがあります。

そして、とても、とても、悲しい気分になりました。

悲しい気分になる理由は明白です、

  • 温かい飲み物を期待通りの量飲めずに思ったより体の暖まりを得られなかったから、
  • 値段は高いのに実質的に手にしたものは、より安い値段で手に入れられるもの(すなわち、サイズM)と同じ価値(経済的に損をしている)であったから、
  • 明らかにアルバイトでなみなみと言わないまでも7.5割程度”入れない”ことが、特にバイト代減額に結びつくとはとても思わないにもかかわらず、6割程度注いでよしとした店員がいるという厳然たる事実。

そんな不満を待つくらいなら、その旨、店員にクレーム入れればいいじゃないか、そんな風に自分の態度をはっきりさせず、不満を抱え、ブチブチと文句を言っているから、何も変わらないんだよ、という意見も最もだと思います。

上記意見への反論として、僕もこの手のクレームは何度も入れたことはあります。しかしですよ、この種のクレームって、どんなに正当でも何故か言ってる側が単に難癖つけているだけ、モンスタークレーマー、というラベリングをされるんですよね。

それすら気にすることなく、言えばいいじゃないか、ということもありますが、まぁ既に支払いも終えて満面の笑みでカップを渡されて、その入っている量が少ないという一点以外はこれといって不満もないのです。いや、むしろ店員のサービスレベルとしては高いといってもいい。

また、後方には沢山の人が待ってて、そもそも殺伐とした空気が流れているのですね。しのごの言わず早くしろよ、文句言うなら後からにしろよ、という無言のプレッシャー。

それでもなお、人の目なんか気にせず自己主張すれば良い、という見方もあるでしょう。

ただ、実際にクレーム入れて上手くいかなかった例もありますし、後ろに誰もいないならまだしも、後方の人に迷惑かけてまで、所詮は数十円レベルのことで、僕も店員もそこにいる客もネガティブな気分にさせたくないという気持ちはあります。

ですので、そんな絶望するほど悲観しているわけでも、噴飯モノだと本気で憤っているわけではありません。所詮は数十円の話ですから、大勢に影響を与える話では無い。

しかし、それでもやはり、疑問には思うのですね、なぜそういう事象が生まれるのか、という素朴な疑問です。

ところで、僕も今まで何度もクレーム入れたことある、と申しましたが、経験則上この手のクレームというか意見申し入れについていえば、やはり言い方には気をつけたほうが良いですよね。例えば、「おいお前、この野郎」、というような剣幕で言うと、もちろんのこと相手は態度を硬化させますし、雰囲気も悪くなります。相手が意固地になり、望んだ結果とはならないケースもあるでしょう。

さらに言えば、例えば旅先で入ったカフェで当面再訪する予定がない一度きりの関係であれば、正直、二度と訪れることはないし、クレームを入れるという手間、クレームを入れることによって(双方)嫌な気分になるというネガティブ効果を総合的に勘案して、泣き寝入りすることが多いです。一方、何度も訪れる職場近くのカフェであると、まぁそう簡単には見過ごせません。かといって、居丈高で横柄な態度を取ってしまうと、再度訪れる際に相手が萎縮してしまい店員とのコミュニケーションの機会が永遠に喪失されてしまうことにもなるでしょう。

まあ折角一息つくためにカフェに入っているのに、店員と抜き差しならない関係、っていうのも気が休まりませんよね。どうせなら、軽妙なトークとまではいかないけれども、ちょっとした会話を交わしながら、気分一新させて、笑顔で送り出されてまたオフィスに戻ったりしたいじゃないですか。そしてその場所を失いたくはないけど、一方で「何をしても文句を言わない客」とも思われたくない。

少なくとも僕はそういうスタンスを持っているので、行きつけの店で何か気にくわないことがあった時、かつ、それについて店員が悪意なく気づいてないというケースについていえば、明確に、とはいってもその人の人格否定にならないように、気を使って一連のコミュニケーションの中に一言混ぜこむようにしてます。つまり、そのクレームだけ際立たせないようにする、会話の森の中に紛れ込ませるとでもいいましょうか。

例えば、量が少なかった場合は、それに気づいて直ぐに、会話の途中であっても、あえて畏まらずに、「あ、すいません、もう少しだけ牛乳入れてもらっても良いですか?」と笑顔と多少の申し訳なさを醸し出していい、応じてくれた場合は、感謝の意を表現して、直ぐに次の話題に移る、といった感じです。

これを実践するには、普段からのコミュニケーションがとても重要です。いつも重苦しい表情で一言も話さないのに、クレーム入れる時だけはっきり喋る、だと、なんかそのクレームがよっぽどのことなんじゃないかと思われ、構えられてしまうんですよね。

そうじゃなくて、普段も軽く話す間柄で、かつ自分の意見は比較的はっきりいうタイプだと、そういう認識を持ってもらう、その上で違う話もしながら「ついで感」を出して、こうしてもらった方がこの人は嬉しいんだな、喜ぶんだな、と個人の嗜好の問題として捉えてもらい、店員個人に対する能力とか人格の否定には取られないようにする。

ただですね、この技の弱点は、いくら行きつけであっても、常に混んでるスタバのようなカフェには使えない、というところです。

流れ作業で客を片付けることが期待されていてパーソナルタッチを入れるいとまも無い状況だと、店員さんものんびり天気の話とかしてるわけにいきませんから。

まぁこの種の気遣いというか、コミュニケーションは、それこそ誰でもやっていることなので、特筆するに値しませんが、意見申し入れについても、その裏にあるコンテクストが重要になる、という話でした。

さて、本題に戻り、今回論じたいのは上記のなぜ悲しい気持ちになるのか、と3つの理由のうち3点目、量を多く入れようが、少なく入れようが、給料が減りも増えもしないのに、なぜ少なく入れるアルバイト店員がいるのか、です。

内部要因、外部要因を分析する

こうした課題を分析する際の定石は、内部要因、外部要因に分けて考えることです。

まあ情報の整理方法の1つですから、早速はじめてみます。

内部要因

内部要因とは、アルバイト君個人の要因です。

例えば、アルバイト君が、少ない量を入れることが本当に良いことだと思っている、あるいは、敢えて少ない量を入れて客を嫌な気分にさせることに嗜虐的快感を覚えているケースです。

ただですね、これはレアケースだと僕は思います。

というのも、そもそも人の困っている顔を見ることに嗜虐的快感を得る人間が、どちらかというと客の喜ぶ顔を間近で見ることを強制される接客業を選ぶとはとても思えないからです。

そして、そのレアケースに当たった場合、出来ることは限られます。対策といえば、その店員がいる店に二度と訪れないことくらいです。

だって、人の困った顔見てほくそ笑む人間に対して顔を真っ赤にしてクレーム入れたら、それこそ餌を与えるようなもので、その様子を冷静に観察して心の中で嘲るでしょう。

こうした内部要因に対して、人のあり方、サービスのあり方を問いただしてあるべきを切々と説く、というのは正攻法ですが、一人の客として根気強く相手と向き合って教え込む時間はない。たとえあったとしても、「何熱くなってるのこの人」的に扱われる可能性も濃厚であり、時間の無駄、人生の貴重な時間をそもそも方向性が違いすぎる人間を説得することに使うことほど無駄なことはない。

ですので、そんな店員がいる店には行くのはやめる、そして、店側がその店員の歪んだ嗜好に気づき是正してもらうことを願う、ここまでが客として出来ることだと考えます。

次に考えつく内部要因としては、単にそのような行為をすることによって客が不快感を覚えるということに気づいていないケースです。これは使えない従業員、アルバイトだ、ということではなく、未熟あるいは経験不足が故に気づかない、あるいは余裕がなくて、そこまで気が回らない、という色々なケースがあると思いますが、共通しているのは、少なく入れているのは別に相手に嫌がらせをするため等意図ではなく、たまたま何の気なしに発生している、ということです。

この場合は、一般的には店側の教育・トレーニングに任せておけば、時間と共に成長して、当該バイト君の不注意は徐々に改善されていくことでしょう。

ただ、未熟ゆえ、経験不足ゆえ、知らないのであれば、客から忠告なりやんわり注意されても、なるほどそうなのか、という風に、聞く耳はまだ持つでしょうから、客側からなんらかのアクションをリスクを冒して言うことは効果があるでしょう。

よく考えてみると、僕が一言いうのも、上記のような場合ですね。単に不注意ですとか、経験不足による認識の誤り、こうした要因により生じたミスであれば、一言言う価値がある。その結果、行動が是正され、お互い笑顔になれば、僕も引き続き気持ちよく贔屓客であることができますし、お互いウィンウィンになれます。

外部要因

次に外部要因です。むしろ、量少ない問題を論じる際に興味深いのはこちらですね。

まず1つ目が、量を少なく入れるように会社の制度として従業員をincentivize(動機付け)する仕組みが取り入れられている可能性です。

例えば、売上数毎にどれくらい材料が消費されているか、きちんと管理されていて、数を最大化させつつ、使う材料は最小化させると、評価があがる、または報酬が上がるシステムとなっている場合、アルバイト君は努めて少ない量を入れるようになるでしょう。

今は、材料管理、在庫管理も電子化されてますから、大盤振る舞いしてる店員が多いと、売れている数対比で使っている材料が多すぎる、あるいは地域平均から上振れしてる、とデータで示すことも技術的には可能、というか容易です。

経営高度化が必ずしも消費者の利益に結びつかないケースとして、ないとは言えなさそうです。でもそんな店で働きたくないですけどね笑。

そして、このような客にとってはダメダメなシステム、すなわち客を搾取の対象としかみていないお店に対して、客としてとれるアクションは、やはりいかないことに他なりません。市場原理によって淘汰されるのを待ちましょう。。ということです。

2つ目が、かっちりとしたシステムには組み込まれていないものの、バイトの先輩や社員の人が、かなり適当な人で、混んでいると時は沢山の量を取り扱うとこぼしたり、時間かかったりと大変だから、できるだけ少ない量を入れろ、と実践的なスキルの一つとしてオンザジョブトレーニング的に教え込んでいるケースです。

所謂、先輩から教えられる仕事の手の抜き方の一つとして伝授されるケース。

この場合も、客としてはやはり行かない、という選択肢を取らざるを得ません。だって、誤ったことを正として教え込まれているわけですから、何を言っても馬の耳に念仏、一客の申し入れを聞き入れることはないでしょう。

社員教育も結局はロボに代替される?

ここまで内部要因、外部要因、論じてみて、現実に生じる要因の多くは内部要因の二つ目、つまりは単に当該ドリンクをサーブするバイト君の不注意・経験不足で単に気づいていないだけ、と言うケースなんだと思います。

統計を取ったわけじゃないけど、Lを頼んでも少なく入れろ、と教え込む先輩なんて多いとは思えないし、報酬に連動するほどフレキシブルな給与体系になっているとは思えない。人を評価するのってコストかかりますからね、それなら時給でいいじゃん、って多くの企業は思うでしょう。まさか、カフェラテのサイズと入れる量を縦軸横軸にとって、「SサイズはなみなみいれてOK、ただし経営上のインパクトが大きいLサイズについていえば、量はより少なく入れるべき、具体的にはMサイズと同等あるいは少し多いくらいなので、散布図を取ってみると右肩上がりにはならない。Mより右はカーブの角度が著しく落ちるのが”正しい姿”である」とか、けち臭いモデリングを現場に導入しているとはとても思えない。

更に、人の嫌な顔を見て喜ぶ店員なんて、それこそ交通事故にあたったレベルじゃないと遭遇しない。

多くは、単に知らなかった、あるいは気づかなかった、だけで、客および先輩、上司から適切に注意されれば、行為をあらため次からはなみなみと注いでくれるに違いないです。

ただ、ここまで書いてみて、この「適切に注意」というのが肝なんですよね。

上で述べたように、偉そうにふんぞりかえって、人格否定をするがごとく罵倒しちゃ当然態度なんて改めないわけです。

むしろ、そんな態度を相手に取られた暁には、「誰が態度を改めるか!あーむかつく!」って思うことでしょう。

だから、指導する側にも、「Lなのに少量問題」が社会的に解決されるためには、それなりのスキルが必要となる。

人を注意したり指導するって結構ストレス溜まることです。それこそ、人の困った顔を餌にする特異な人間でない限りは、基本的には、人に対して注意するって行為したくないものですよ。だって、放置して後は野となれ山となれ、という精神の方がよっぽど楽ですから。責任も取らなくていいし。

ですので、あえてそのストレスを溜まることを実行してくれて、人の想像力を養うという苦痛を伴う(少なくともそんなことをせずとも生きてはいける、人の価値観を理解する行為に他ならないのでそのプロセスにおいて不快感を生じることも当然ある)行為を強制してくれる職場であれば、それは多少厳しくても、良い職場なのかもしれません。

また、教えられる側にも相応のストレス耐性は必要となるでしょう。一種の厳しさでもあり、昨今は忌避されがちですが、やっぱり怒られてというか注意されて初めて、色々学んで成長するというのはあります。

最初は、これこそが人間の競争力の源泉だから、このような機会は失うべきではない、進んで注意されて成長すべきだ、と書こうとしましたが、もしかしたら、この種の「人間を教育する」という行為そのものはAIやロボに代替されてしまうのかもしれませんね。

よく考えると、人に注意されるのが何が嫌かって、そこに立場的な上下というヒエラルキーやなぜか人間の優劣の問題として人が連想してしまうのが原因だったりします。

その点、AIやロボに、具体的事例をあげられながら論理的にビデオですとかチャットで説明、フィードバックされると、意外とすっと受け入れられる。人対人、だから、軋轢が生じるわけであっても、人対物だと無色透明になる。少なくとも僕はそうお思います。

まあ人によっては、人によって注意されたい、という人も多いですし、AIやロボだと、指導された後に”飲み会に連れていって、俺も昔はそうだったよと共感する”という行為はできないでしょうから笑、現実的にはAIやロボの組み合わせで社員・バイト教育が行われることになるのでしょう。

あるいは、その人の好みに応じて、あなたは100パーAIロボ、あなたは60パー人間、40パーAIロボ、というようにベストなラーニングカーブを描くには人とロボをどのような割合で組み合わせるか、細かく指定していく、そんなシステムが導入されるのではないかと思います。

いずれにせよ、これまで時代遅れとされていたノミュニケーションや職場外での付き合いなんかは、これからも形を変えて長い期間残るんじゃないかな、と。そんな風に感じます。